「見えない私のロンドン歩き」






               堀切艶子

 私は網膜色素変性症のため、十数年前から全く視力を失った70歳を目前のおばあちゃんです。
 2019年2月、ロンドンへの旅は突然計画が持ち上がり、4月にはすぐに実行されました。
 それはロンドンの南「ゴドミン」に住む私の娘からのメールでした。
「四月には幼稚園がイースターで2週間も休みだから、ロンドンを案内できるよ。」
と言うメールでした。
 夫は自分も行くつもりの大きな誤解から始まりました。旅好きの夫は安い飛行機、
ホテルなどを探し始めました。しかし、私の計画は夫の弟の嫁「尚子」、夫の妹「悦
子」そして私の妹「智子」たち四人だけで行くつもりでした。
それぞれに計画を話すと、二月末にはみんなで旅行会社を訪ねていました。この女子
4人組は絶妙のコンビで、私の妹は私のガイド、夫の妹は会計、英語を話せる弟の嫁
は通訳。女子4人組といっても、全員が60歳を過ぎたおばあちゃんグループです。
それにしては決断の速かったこと。
わたし以外は三人とも外国旅行は新婚旅行以来の40年ぶりです。4人揃っての打ち
合わせも2回しかできず、出発も迫っています。
 まずはパスポートを取らねばなりません。見えなくなった私が自分の名前のサイン
をしなくてはならないのです。狭い枠の中へのサインは困難です。その上、私の名前
「艶子」は19画もあります。ただ、これを平仮名でも良いということがわかり、サ
インすることができました。
 出発までの一ヶ月、自分のもちもの、服装よりも娘や孫へのお土産の買い物に追わ
れていました。イギリスでは手に入りにくい物をさまざま詰め込みました。

 4月6日

 いよいよ出発です。
手荷物検査では必ず白杖を取り上げられ、一人歩きをさせられます。これは国内便で
も同じだと思います。飛行機への乗り込みなどには障碍者は先に乗り込むことができ
ます。これは良いとしても、障碍者用の席があるわけではありません。座席が狭いの
です。機内食でも妹の助けなしには食べられません。
 ロンドンまでは12時間で行くことができます。この日の夕方にはロンドンのヒー
スロー空港に着いていました。入管の手続きには尚子さんの出番です。優しそうな人
を選んで並びます。
何やら聞いてきました。
「どこへ行くのですか?」「ホテルは?」
「この人の娘、わたしたちには姪ですが、その家に行きます。」
「グッドホリデー。」と係りの人がニッコリ微笑んでくれているようです。
そこからロンドンへ行きますなどとよけいなことは話さない選択です。外へ出ると、
娘「ユキ」がタクシーの運転手さんといっしょに待ってくれていました。
イギリスでは交通費も物価も日本の倍はします。なので、思い荷物を持って電車で移
動するよりも私たちのように人数が多い場合はタクシーの方が安くつくのです。

 4月7日

 今日は「ゴドミン」の散策です。「ゴドミン」の街の家々は全て煉瓦造りというか
煉瓦色です。近くに大きな大きな広い広い学校があります。その学校も煉瓦造りです
。私は見たことがありませんが、ハリーポッターの映画に出てくる魔法の学校そっく
りの学校のようです。
静かで落ち着いた街です。それでもスーパーマーケットはあります。もちろん煉瓦色
の建物です。世界に知れ渡った「お寿司」も売られています。今日のお昼ごはんの「
お寿司」を買って帰ることにします。
 この町は観光地ではありません。タイタニック号が沈没する時に最後まで無線を打
ち続けた「ジャックフィリップ」の出身地であることが知られています。その方のお
墓を訪ねました。入口には名前などを点字で知らせていました。
イギリスでは薬の箱には必ず点字が打たれているので、やはりと思いました。
ただ、この町は視覚障碍者にとって良いことばかりではありません。田舎町ですから
駅のエレベーター(リフト)が付いたのは最近のことです。バスもあまり走っていま
せん。

4月8日

 ゴドミンの隣り町、「ギルフォード」を歩きます。この町ギルフォードはゴドミン
よりも北にある大きな町です。「ふしぎの国のアリス」の作家「ルイスキャロル」の
出身地で知られている少しだけ観光地です。
ノーベル文学賞を取った「石黒カズオ」の住んでいた所でもあります。町のあちこち
にウサギやアリスの像があります。
私が触ったアリスの像は、みんなが触るのでピカピカに光っているようです。
ロンドンでお土産を買うと高いので、ここギルフォードで妹たちはたくさんのお土産
を買っています。紅茶にチョコレート、そのチョコレートは今がイースターなので、
ほとんどが卵型です。
この町も静かな町です。河が流れあちこちに大きな柳の木があります。その柳の木は
一人では抱えられないくらい、二人でやっと届くくらいの大木です。河にはカモも泳
いでいます。
午後からはロンドンへ移動します。これもタクシーで移動です。だから私たちが大き
な重い荷物を持って歩くということは、この旅行では全くありません。
ロンドンまでは1時間ほどで着きます。孫とはこのロンドン行からいっしょです。
 ケンジントン通りにあるホテルを予約してくれていました。ここで4泊してロンド
ンのあちこちを訪ねます。私にはホテル側が1階を取ってくれていました。非常時の
ためでしょう。ただ、イギリスは1階はグランドフロア1階と呼び、2階が1階です
。エレベーター(リフト)もそのようになっています。ようやく慣れたのは帰る時に
なってからです。

4月9日

 昨日の内にロンドンに入り、今日はウィンザー城を訪ねます。
一番若い夫の妹、悦子さんは朝早く起きてハイドパークを走ってきたようです。
地下鉄を乗り継ぎ、ウォータールー駅からウィンザー城へ行きます。この地下鉄は日
本のそれよりも小さいというか狭いです。その上、とても混んでいます。
最初に乗った地下鉄で早くもスリに狙われました。智子と尚子さんのリュックをさっ
そくガサガサ触り出しました。こういう時は声も出せないようです。それでも二人と
も大事なものはポシェットに入れています。
それをタクシーの運転手さんに話すと、
「ダメダメ、ポシェットのベルトもナイフで切られるよ。」と言われました。
あらら、どうしたら良いのでしょうか。
 それとイギリスでは電車の乗り口には一段階段があります。さっそくに孫が「バー
バ、階段があるよ。」と教えてくれたのにはビックリしました。4歳の孫には、まだ
私が見えないことを教えていないのです。
ウォータールー駅からウィンザー城までは電車で1時間ほどです。これは座って行く
ことができるようにと娘が各駅停車を選んでくれました。しかし、乗りたい電車が何
番線に入るかは直前までわかりません。これもイギリス方式なのでしょう。
 ウィンザー城の衛兵交代を見るのが目当てですが、すでに多くの人が集まっていま
す。なんとか一番前で待つことができました。
衛兵の音楽隊の音がしてきました。音楽隊は二つに分かれていて、音楽も服装も違い
ます。どういうわけか最初はアジア系の人たちです。
二つ目の音楽隊は赤と黒のかっこいい制服を身につけているようです。そして、騎馬
隊の蹄の音もします。
この行列はお城へ行って、また帰りも同じように音楽とともに帰ります。
 お城へ入るには時間も足りないけれど、入場料も高いです。それに雨が降ってきま
した。やはり、こちらの人たちは傘をあまりささないようです。次のイートン大学を
訪ねるころにはかなりの雨降りです。それでも門のあたりまでは歩きました。あのウ
ィリアム王子たちが通った学校です。煉瓦造りとは違って薄茶色の石造りのようです

あまりに歩きすぎて疲れました。ホテルに帰った頃には足がつっていました。今夜は
妹たちが買って来てくれた、おにぎりと味噌汁が晩御飯です。これがまた、なんと美
味しいこと。

4月10日

 今日はバッキンガム宮殿の衛兵交代を見に行きます。今日が本当の意味でのロンド
ン歩きでしょうか。
私は東京へは行ったことはありませんが、ここロンドンは観光客も含めて、本当に人
が多いです。歩くのには苦労します。私が歩いた道路は、点字ブロックもなければ、
音声信号機もありません。見える人のために、後何秒で青に変わるという信号はある
ようです。これを守らずに多くの人が青になる前に歩きだしているのです。これでは
一人歩きはできません。
そして、橋の上では物を売るのでなく、小さな賭け事がされています。これでは人が
歩くのに道が更に狭くなってしまいます。
もう一つ、ロンドンのエスカレーターの速さにはビックリです。妹たちも私を乗せる
ためには必死です。
「1、2、3、それっ!」と、みんなで掛け声です。
バッキンガム宮殿の近くまで来ると、昨日とは比べものにならないくらい人でごった
返しています。
 ここも音楽隊は二つに分かれていて、音楽も服装も違います。もちろん騎馬隊の馬
の蹄の音もします。孫は音楽隊よりもお馬さんの方に興味があるようです。
さて、お昼ご飯の時刻ですが、
「こんなに人が多くてはどこもいっぱいでしょう。」と娘。それにイギリスはレスト
ランや食堂が日本のように多くないのです。
今日はイギリスでも滅多にない快晴のお天気です。トラファルガー広場まで移動して
外で食べることにします。しかし、サンドウィッチを買うにも行列です。階段に座っ
て食べることにします。
イギリスは物価が高いといっていますが、サンドウィッチが600円です。この広場
にある大きなライオンの像に昇りたいと孫がぐずっています。
 さあ今日はロンドン歩きの日です。つぎはタワーブリッジまで行きます。ここも観
光客や中学生たちが遠足で来ているのか、人がいっぱいです。橋が二つに折れて真ん
中が上に上がり、下の川を大きな船が通るのです。
丁度、私たちが着いた時に橋が閉まる直前だったようです。
ここのあたりには、やたらカラスが多いです。これはカラスの羽を抜いて飛べないよ
うにしていると聞きました。カラスがいなくなると、王室が滅びると言われているか
らだそうです。

4月11日

 楽しい旅行というのはあっという間です。今日がもう最終日ですが、娘が計画して
くれた半分も周りきれていないようです。おばあちゃんグループには無理がきかない
のです。
 しかし、この旅行で私が絶対に行きたいと言った「国会議事堂」のビッグベンにま
だ行っていません。日本の学校のチャイムに使われている、あのメロディー。あれは
このイギリスのビッグベンのメロディーが使われているのです。見えない私が旅先で
音を聞くのはどんなに嬉しいことか。
でも、本当に残念でなりませんが、今は工事中でした。またロンドンへ来るしかあり
ません。妹たちも喜んでお供をしてくれるようです。
さあ今日の予定はあとウェストミンスター大聖堂とデパートでの買い物です。ウェス
トミンスター大聖堂の入場料はやはり高いのですが、シニア割引がありました。その
上、日本語での説明テープを貸してくれました。これは良かったことですが、埋葬さ
れている人のお顔が石で作られていて、そのお顔を手で触れられたことに驚きです。
大聖堂の中は広く、歩くのは大変です娘が車椅子を借りてくれ、膝に孫を載せて周っ
てくれました。孫はスヤスヤ眠り始め、私はその孫を抱いて暫く隅っこで私も眠ると
いう幸せな時を過ごしました。
 デパートなどの買い物は人が多くて大変です。
現代では携帯を持つようになって迷子になるという心配はありませんが、何十年も前
の旅行では冷や冷やしたものでした。

4月12日

 今日はもうロンドンのヒースロー空港へ行くだけです。この移動もタクシーですが
、このタクシーはホテルが予約してくれたタクシーです。
支払いの後、会計担当の悦子さんが、
「おかしいな。丁度渡したはずなのに足りないと言われた。」と言っています。外国
では気をつけないといけないことが色々あるのですね。
ヒースロー空港は混むと聞いていました。ところが、空いています。英国航空だけの
第5ターミナルでした。
余った時間は、また買い物をしてしまいました。孫とは「今度は日本に来てね。」、
「バーバたちもまた来るからね。」と約束しました。

4月13日

 関西空港には夫たちが出迎えてくれていました。
気前よく送り出してくれた夫たちに感謝ですが、女4人の旅行に味をしめた私たち。
妹たちと2年後にまたイギリスへ行こうと約束しました。最近では来年に行こうかと
、目論んでいます。
 さあ、私も来年の三月には70歳になります。年だから、見えないからとかいって
負けてはおられません。
今まで以上に出かけよう、見てやろうという気持ちがもくもく沸いています。





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